幸手今昔物語#8『江戸百万の人達のために・・・』
その昔、お米は税金のような物であり、石高が地域の大名の力を示すものであった。と同時に、人々の日々の生活にはなくてはならないものであった。
江戸幕府は、利根川の治水による流路変更により流れが変わった古利根川に対して、万治三年、伊奈半左衛門に開削を行わせた。これが今の葛西用水であり、現在でも埼玉県東部低地の大切な用水として利用されている。
地元では通称「樋の上・ヒノエ」と呼ばれているが、正式名称は「琵琶溜井」である。その名の由来は、溜井を作った当時、その形が「びわ」に似ていたからだという。
名前一つをつけるにしても、先人の方々の「心のわびさび」を感じる。
昭和53年頃
平成20年現在