幸手今昔物語#5「幸手駅」
文明開化の中の幻そして・・・
新世紀となり、近代国家となった日本。人の足となるものが急速に変化していった。
鉄道の開通である。
明治十八年に大宮―宇都宮間が開通した路線から外れた後も、幸手市には地理的重要性があり、明治後期には幸手を経由地とする鉄道計画が五路線もあった。熊谷市から千葉の佐倉市、栃木市から杉戸町、久喜市から土浦市、熊谷市から八日市場市、東京押上から久喜市、、、かなわぬ夢であった。
大正期においても、なかなか幸手に鉄道は実現しなかった。待ちに待った昭和四年、東武鉄道が日光線を開通して駅が出来て幸手にも明るい光が灯る。
そして平成の今、駅前開発として幸手駅前広場が出来上がった。これからの未来を明るく照らすために・・・。
昭和4年
平成20年現在