幸手今昔物語#5「幸手駅」
文明開化の中の幻そして・・・
新世紀となり、近代国家となった日本。人の足となるものが急速に変化していった。
鉄道の開通である。
明治十八年に大宮―宇都宮間が開通した路線から外れた後も、幸手市には地理的重要性があり、明治後期には幸手を経由地とする鉄道計画が五路線もあった。熊谷市から千葉の佐倉市、栃木市から杉戸町、久喜市から土浦市、熊谷市から八日市場市、東京押上から久喜市、、、かなわぬ夢であった。
大正期においても、なかなか幸手に鉄道は実現しなかった。待ちに待った昭和四年、東武鉄道が日光線を開通して駅が出来て幸手にも明るい光が灯る。
そして平成の今、駅前開発として幸手駅前広場が出来上がった。これからの未来を明るく照らすために・・・。
昭和4年
平成20年現在
昭和4年の駅の方が立派に感じますね。当時は、今よりもこの駅の存在価値が高かったことを実感しますね。「あっ!!、黒い羽織を着た人、ウチの婆ちゃんでは?」
コメント by 世界の梅アツ — 2008年6月22日 @ 5:57 PM
今の駅前も立派になりましたね、『昔の写真と同じアングル』というこだわりもあるのですが、新しくなった幸手駅前広場の写真の方が良かったかなと若干の反省中です。
コメント by Maki — 2008年6月26日 @ 10:10 AM