埼玉県幸手市商工会青年部

 


2011年10月22日

 第2回 東日本大震災復興支援ボランティア活動 Part1

9月25日の日曜日に、青年部としては2度目の、東日本大震災復興支援ボランティア活動を行ってきました。大久保親睦委員長を筆頭に、青年部員11名応援2名の総勢13名で参加して来ました。

 私は初めての参加でしたが、高速道路を降りて一般道を1時間程走り、活動を行う宮城県の山元町に入るまでは周りの景色も道路の舗装も至って普通でした。一般道の途中で寄ったコンビニエンスストアも普通に営業していて、車の交通量もそこそこありニュースなどで見た被災地の惨状から半年程たった今、どの程度復旧しているのか想像もつかなかった私としては、もうボランティアは必要ないのではないかと思った程普通の風景でした。しかし、海岸の方に近づくにつれて、工事中の道路や窓などの建物の一部がなく、住んでいる気配がない住宅が目立ちところどころに瓦礫の山や、稲穂のない田んぼなど被害の大きかった範囲は、全然復旧作業が進んでいないのが現状でした。

 山元町の役場で手続きを済ませた後、ボランティアセンターの方に連れられ、今回お世話になるいちご栽培農家さんに着くと、間口100m、奥行き50m程の大型のビニールハウスを、業者の方が修復作業を行っており、私達はその補助的な作業をしてもらいたいとの事で、その内容はハウスに被せるビニールの端を埋めて固定するための溝堀作業と、屋根の開閉部分の防虫ネットとビニールを張る作業でした。

 時間にして9時くらいから3時半までの作業予定でしたが、気温も高かったためこまめに休憩を取りながらももくもくと作業を進め、1時間ほど残して作業が終了し、畑の草むしりも行いました。その作業中に依頼主から直接お話が聞けたのですが、元々山元町はいちごの有名な産地で、町内に二百件ほどのいちご栽培農家がある中で、復旧作業を行い、栽培のめどが立ちそうな農家が7、8件ほどしかない事や、津波により建物の1階の天井近くまで浸水して、瓦礫や土砂が流れ込み、ボランティア活動によりなんとか復旧出来た事など、震災直後の大変だった様子を話して頂けました。

 作業を終えた後、依頼主からお礼の言葉と「クリスマスには間に合うように収穫できる予定なので、ぜひまた山元町に来てください」とのお言葉を頂いた時に、うまく言い表せませんが、一人では何も出来ないけれども、部員同士で協力して作業を行った結果、依頼主のお役に立つ事が出来たのではないかと思いました。

 今回参加して、まだまだ被災地での復旧作業において、人手は必要だと感じました。しかし青年部でのこの企画がなければ、個人で被災地のボランティア活動に参加する事はなかなか出来る事ではないし心の通った部員同士の結束力があったからこそ、あれだけの作業を行うことが出来たのではないかと思いました。機会があれば、私はまた参加するつもりですが、ボランティア活動を通じて何か感じたり、気付く事が多々あると思いますので、行ったことのない部員の方にもぜひ参加していただきたいと感じました。

 今回参加させて頂いて本当にありがとうございました。      

青年部副部長
川尻 一哉


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